プログラミング教育

コダック社に似てませんか?

投稿日:

録画したまま、ほったらかしになっていた少し前のビデオを見ました。
内容は、経済問題に関するものです。
その中で、クセのある外国の経済学者と日本の著名企業の代表が、今後の世界経済について語り合うという場面があったのですが、この日本企業の方が当時の流行り言葉を多用して一生懸命話しているのに、ちょっと笑ってしまいました。
きっと事前に社長室とコンサルタント会社らしきものが何度も打ち合わせをしてストーリーを作成し、繰り返し社長さんにレクチャーしたのでしょう。
今となってはやや古臭い感じのする言葉を多用して語る彼の姿から、このくらい立派な会社のトップでも、あんまり考えてないのかな、と自分のことは棚に上げて、ちょっと失礼なことを思ってしまいました。
さて巷には数えきれないマネジメント理論や組織論が溢れかえり、健康法と同じでもう何が何だか何が正しいのか、さっぱりわからない状態です。
前回はアメリカのコダック社が破産申請した事実について触れましたが、素人目にはなぜコダックのような老舗のビッグネームが破産に至ったのか、もうさっぱりわからないことばかりです。
(なお2013年には経営再建を果たし、ニューヨーク証券取引所に再上場しています)
巨大企業で、社内には優秀な人材が多くいて、外部には優秀なコンサルタント会社やシンクタンクがたくさん囲われていたはずです。
写真業界の環境が短期間に激変したことは理解できますが、そんなことを予感できなかったのでしょうか?
事実としては、予感出来なかったどころか、世界初のデジタルカメラ試作機を1975年に開発したのは、他ならぬコダック社自身でした。
その後デジタル技術にも投資し、なんと2001年には写真共有サイトの買収も行っています。
つまり予感出来なかったどころか、未来は見えていたのに対応出来なかったことになります。
コダック社にはFacebookに変身する機会もあったのに、一体何故破産申請に至ったのか、ますますわからなくなってきました。

複々線の電車に乗っていると、私が乗っている電車を、隣を走る電車がゆっくりと抜いていくことがよくあります。
こっちの電車もいつもと同じ、そこそこのスピードで走っているわけですが、隣の電車の方が速いので、その速い分だけ、ゆっくりと抜かされていきます。
コダック社の破産について、きっとこんな感じで衰退していったのではないかと私は想像しています。
会社を守っていこう維持していこうとして、従来通りのスピードで走っていても、競合する世界や企業の変化や進化のスピードが更に速ければ、抜かれていくのは当たり前です。
周囲の変化のスピードを考えない現状維持は、相対的な衰退を意味する、というのがビジネス社会の現実であることを、コダック社は証明してくれたことになります。
しかも来るべき未来のことを理解していながら、です。
つまり相対的な衰退を避けるためには、少なくとも時代のスピードに合うところまで組織を加速することのできる成長部門が必要である、というのが厳しい現実であるということがまず理解出来ます。

しかしコダック社は、この成長部門を持っていました。デジタルカメラを世界最初に開発したのですから。
また他にも、医療品、医療機器、複写機といった有望分野への進出を目指し、経営の多角化を行っていましたが、21世紀を迎える前に多角化を志した事業の多くを売却してしまっています。
この原因は、株主、特に大口の機関投資家からの要求です。
1980年代にはM&Aや多角化が経営の世界では流行しましたが、90年代にはこの流行は廃れ、株主は「選択と集中」による経営戦略を求めました。
コダック社に対しても、すぐに利益を生まない多角化などやめて、中核事業に集中することを求めたわけですが、この短期的視野に基づく投資家要求が10年後の経営破綻を招いたとも言えるわけです。

この「選択と集中」という考え方は、アメリカの経営学者で日本でも人気のあるドラッカーが生み出したものですが、彼はまた「マネジメント」という概念も生み出し、それを「組織に成果を挙げさせるための道具、機関、機能」と定義しています。
ドラッカーの定義はまさにその通りだと思うのですが、「組織の成果」というものを、どう定義するかでマネジメントは全く変わってきます。
未来を理解し、それに先駆ける能力も持っていたコダック社が倒産した事実は、中核事業を守ることで成長することを放棄したからだ(それが株主からの要求であったとしても)ということができるのではないでしょうか。
つまり「組織の成果」の本質は、「組織の成長」と言い換えることができると思います。
コダック社のケースは、私ごときがこれ以上分析するにはあまりにも巨大で複雑ですが、少なくとも「現状維持は、相対的な衰退を意味する」「組織の成果とは、組織の成長させることである」というのが、私なりの結論です。

さて話を「教育」に戻しましょう。
少子高齢化が今後も続く我が国に対し、中国と韓国を除く大半のアジア諸国では若者人口がどんどんと増えていきます。
つまりこれからの日本は、少ない人数で急速に発展していく国々と競合していかねばならないわけですが、対抗していく手段は、時代に応じた教育水準と若い人達の知的水準を一層高めていく方法しかありません。
次の世代の教育が国の根幹であり、国の盛衰を決めることは歴史からも明らかです。
幸いなことに日本は世界最大の対外債権を持つ国ですので、今のところはまだ余裕があり、発展途上の国々に対しても有利な位置にいると言えます。
この有利な貯金がなくならないうちに、次の成長エンジンを確保しなければなりません。
そうしなければ我が国は複々線で隣の電車に徐々に抜かれていく、コダック社のような状態になってしまいます。
また教育水準を上げていくこと、言い換えると教育への投資は長期的視野と展望を持って力強く、そして忍耐強く取り組まなければなりません。
若者の数だけでも他国に圧倒され、デジタル技術の重要性はさらに高まっていく未来が明確である中、我が国も教育のICT化を国家プロジェクトとして進めようとしていますが、残念ながら実態といえば、教室に設置されたデジタル黒板は放ったらかし、児童にはリースのタブレットを配りましたというだけの自己満足で終わっており、来年度からようやく始まる小学校でのプログラミング学習も、学校現場は後手後手に回っていて具体的な指導内容が決まっていないところも多いと伝え聞いています。
これはまさに、成長するためのマネジメントが出来ていない状態、と言えるわけです。
このような状態では、来るべき未来を理解し、そのための道具を持っていたにもかかわらず、その道具をほったらかしにしてしまったコダック社と同じことになってしまいます。
コダック社のケースは日本にとって決して他山の石ではなく、自らが同じ道をたどらないためにも、格好だけではない、本腰を入れた教育のICT化の推進が強く求められていると感じています。

文:三宅 正一

-プログラミング教育

Copyright© クムクムプログラミング教育ブログ , 2020 All Rights Reserved.