小学校プログラミング教育-1「なぜ」

2020年からプログラミング教育が小学校でも必修となりました。必修科目ではありませんが、学ぶことを必修とされています。しかし、なぜ小学校からプログラミングを学ばなければいけないのか?
この疑問を、令和2年2月 文部科学省 小学校プログラミング教育の手引(第三版) を読みながら解いていきたいと思います。

コンピュータは「魔法の箱」ではない

ここ数年、コンピュータは人々の生活に必須のアイテムとなっています。

普段使う電化製品のほとんどにはコンピュータが内蔵され、それらすべてには当然プログラミングが存在しています。

自動運転の車、OKグーグル、スマホ、エアコン…様々な生活に密接な道具はコンピュータを中心に構成され、それらの動きは、人の手を介して作られたプログラムがあり、このプログラムで動いています。

つまりすべてのコンピュータ製品は、その製品を作ったからコンピュータが勝手に動いてくれるのではなく、かならず、そのコンピュータを動かすためのプログラムが仕込まれているということです。

そしてそのプログラムは人の手によって作られているということ…つまり、コンピュータは何でもできる「魔法の箱」ではなく、必ず人が作っているということをまずはしっかり理解する必要があります。

これからの世の中、ますますコンピュータを使った製品は増え、AIが発達すればするほど、ロボットや自動化なども進み、それらを使った世界を支えていく人手が必要になります。今の小学生たちが大人になる10年後には、コンピュータはもっともっと身近な道具となります。

その時のためにも、まずは今のうちからしっかりコンピュータを理解することで、コンピュータに対するハードルを小さいころから下げておきたいという狙いがあります。

コンピュータが「魔法の箱」ではなく、私たち人間が作り上げるもので、その方法がプログラミングだよ!だから、作るほう、使うほうもしっかり理解をしていこうということが小学校プログラミングの狙いであると読めます。

手引きの中には下記のように書かれています。

プログラミング教育は子供たちの可能性を広げることにもつながります。
プログラミングの能力を開花させ、創造力を発揮して、起業する若者や特許を取得する子供も現れています。子供が秘めている可能性を発掘し、将来の社会で活躍できるきっかけとなることも期待できるのです。

プログラミング教育に期待するところ

そして、さらに、プログラミングの能力を開花させることで、創造力を発揮させ、起業する若者や特許を取得する子供をどんどん作りだし、子供が秘めている可能性を発掘し、将来の社会で活躍できるきっかけとなることを期待するという文面もあります。

プログラミングというと、一見、理系色が強いものに感じます。

プログラミング教育でこれまで使用されてきた単語「STEM」を見ただけでもまさに理系そのものでした。

科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、数学(Mathematics)の4つの領域を対象としています!という単語…理系の何物でもありません。

しかしここ最近ではこれにアート(Art)が加わり「STEAM」として使われるようになりました。
少しだけ、文系に近寄ってくれた感があります。
ARTを加えることで、すべての教科を横断した力をつけるように!と狙っているようです。

文系にも必要なプログラミング

コンピュータというと、計算機=計算が強い=理系 と思いがちなのですが、計算は理系以外にも必要です。

会社の会計・経理、営業が出す見積、労働時間の計算…生活には様々な計算が必要で、その計算には今すべてコンピュータが使われています。

電卓で計算するシーンも十分に残っていますが、どうでしょう…多くの場合EXCELなどを利用していませんか?そして顧客管理や生徒管理、様々な場面でコンピュータが登場し、ほとんどの人がそれを道具として使用します。

だから、もう、コンピュータが計算機であって理系や技術専門の道具である!という考え方は古いのです。理系頭の人しか使えない!作れない!というのも古いのです。
理系の方は案外お金の計算が苦手だったりします。
経理や会計や労働などは理系でしょうか?
決して違います。

反対にこの分野は文系のほうが得意というか文系のお仕事ですね!
逆に、科学計算や物理計算は文系ではなく理系です。

このように、コンピュータは今や文系理系を超えたただの道具なのです。
そしてそれを動かすために必要なプログラミングは、理系だけの仕事ではなく文系の仕事でもあるのです。

特別な道具や専門的なものではなく、私たちがこれから生活をしていく社会に、必要不可欠な電卓のお化けであり、すべての人がそれを道具として使いこなしていくことが要求されているのです。

だから、小学生のころからこれらのことに慣れ、これからの社会に必要な知識を、全員がしっかり身に着けていく必要があるのです。

なぜARTが加わったのか?いつごろから?

2016年4月、文科省は学校でのプログラミング授業の必修化の検討を発表し、2018年に今後の教育方針としてAI時代に対応するためにと報告書「Society5.0にむけた人材育成 ~社会が変わる、学びがかわる」 を作り以下の育成の必要性を述べました。

(1)文章や情報を正確に読み解き、対話する力
(2)科学的に思考し、吟味して活用する力
(3)価値を見つけ出す感性と力、好奇心・探求心

これだけを見ても、ARTの必要性がなかなか見えてこないので、STEAMについては、別途紐ほどいていきたいと思います。

業界に30年以上身を置き多くのプログラマーと接してきて思うことは、プログラマーの多くは、プログラムコードを書いて目的の動きを作り上げるそのプロセスがとても好き?でそこに力を注ぐ傾向があります。

 

コンピュータも今ほど進化していない昔であれば、コンピュータはあったら便利なプラスワンの道具でしたし、機能も少なく、そうそう多くの人がむやみやたらに使うものではなかったため、アプリなどもそんなに凝ったものは必要ありませんでした。

 

しかし、ここ最近では、コンピュータは必需品となり、ほとんどの人が使う日常の道具となってきたため、アプリも多様、使う人も多様になり、よりよいアプリや操作性・画面…そしてセキュリティーなど社会的な部分にも気を遣う必要が出てきました。

 

つまり、なんでもいいから動くものを作るのではなく、使いやすく有効的なものをより求められる時代になり、コードを書くだけのプログラミングから、それ以外のプログラミング能力としてARTという単語が使われたと感じます。

 

プログラミングを通して様々なところに目を向けていこうという思いが伝わってくるようです。

 

 

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